永遠のSUVブランド ジープラングラーはどうやって生まれ、現代の形が生まれたのか

以前の記事でかつて日本に存在したウィリスジープをライセンス契約により国産化した三菱ジープについて取り上げましたが、本国アメリカでは現在クライスラー社が「ジープ」のブランドを所有しており、今なお現役のブランドでもあります。しかし、日本の三菱ジープ同様、アメリカ本国のジープも非常に数奇な運命をたどったブランドでもあります。

かつてアメリカにはビッグスリー以外にも多くのメーカーがあった


▲かつて三菱でもライセンス生産されていたジープ

現在、アメリカの自動車メーカーはビッグスリーと呼ばれるGM、フォード、クライスラーの三社に集約されていますが、第二次大戦前には大小さまざまな自動車メーカーの乱立時代があり、その中に「バンタム」という小型車を得意とする自動車会社がありました。元は1929年に設立されたオースティンのアメリカ法人でしたが、大型車が主流のアメリカでは小型車のオースティンは受け入れられず、そればかりか価格面でもより大型なフォードA型と競合するなど、常にアメリカでは不利な情勢にある世界大恐慌の影響もあって1934年に倒産、1935年にロイ・エヴァンスに買収され、会社を再編成し「アメリカン・バンタム」という名で事業を再開します。しかし、それでも売れ行きは伸びず依然、会社は危機的状況にありました。

その頃、ヨーロッパでは第一次大戦の戦後処理の重圧からファシズムが台頭し、再び戦争の火種が蒔かれ1940年、ヒトラー率いるナチスドイツがポーランドに進行、戦車や飛行機などが投入された攻撃はいわゆる「電撃戦」と呼ばれます。この時、アメリカはドイツ軍が小型で高性能な軍用車両を開発している事を察知し、小型で軽量で高性能で堅牢な軍用車に必要性を認識するようになります。急遽小型で軽量な四輪駆動車の開発を各自動車メーカーに打診しますが、小型車を不得手とするGM、フォードは応じる事が無く、小型車を得意とするウィリス社とバンタム社が入札に応じ、もはや軍に自社製品を納入する以外に会社が生き残る道は無いと判断したバンタムはまず自社のロードスターモデルを政府に提案します。しかし軍はさらに高性能かつ四輪駆動のクルマでなければならないと主張します。軍は11日後に設計図を49日後に試作車を要求するという厳しい条件の下、正式な入札が決まり、エヴァンス社長は八方手を尽くし元GMのアンジニア、カール・ブロブストを招き設計を依頼、着任してわずか5日で設計図を描き上げます。一方、ウィリスは軍の要求に応えきれずまた試作車の納入期日に間に合わないということで、軍用車の設計はバンタム社に決定します。

技術者たちは工場に泊まり込みで試作車の製作にとりかかり、締め切り二日前に試作車が完成し「ブリッツバギー」と呼ばれます。ブロブストは軍に引き渡す際に、ブリッツバギーの面白さに気が付き、道路をの外を走るなどオフロード走行を堪能したのち軍にクルマを引き渡します。軍でのテストは好評で、最初に試乗したモーズリー大佐は「今までいろいろ軍用車をテストしてきたがこのクルマは一番優秀だ、歴史に名を残すだろう」と絶賛します。しかし、このクルマの採用でバンタムにとっては思わぬ事態が発生します。その後、ウィリスやフォード、GMもブリッツバギーの視察に訪れ、同じクルマを作りたいと申し出、軍は各社にブリッツバギーの図面を渡してしまいます。この新型の軍用車を独占で受注できるものと思っていたバンタム社は当然、軍に抗議しますが図面はバンタム社ではなく軍に帰属する契約となっており、バンタムの意見は退けられ、大量の小型四輪駆動車を必要としていた軍は生産能力の高いフォードやGM、ウィリスにも互換性を持ったコンポーネントで小型四輪駆動車の製造を依頼します。結局、バンタム社が受注できた独占契約はジープが引っ張るトレーラーのみ、生産能力ではGM、フォード、ウィリスには及ばず、1945年にはウィリス社がジープの唯一の生産メーカーとなり、皮肉にもジープの原型を作り上げたバンタム社は1950年代に消滅します。


▲納品の期限に間に合わず初期の入札でバンタムに敗れたウィリスがジープの製造メーカーとなる

ジープが辿った歴史

戦後は世界各国でライセンス生産され、日本の三菱ジープはもちろん、フランス、中国、インド、韓国、ミャンマーでもジープは生産されます。また日本ではウィリスを買収したカイザー社のジープを正規輸入しており、そのままアメリカンモータース、クライスラーと日本が正規輸入しているアメリカ車ブランドがジープブランドを引き継いでいたため、ライセンス生産の国産ジープとアメリカ本国の本家ジープが両方日本で販売されていたという時期もあります。

それには、瓢箪から駒とでもいうべきマーケティングがあったからでしょう、1990年代貿易摩擦解消のため日本の自動車メーカーがアメリカ車をOEMで日本で販売する、提携して日本国内のディーラーでアメリカ車を販売するという施策がとられ、自社でSUVをもたないホンダがジープチェロキーの販売を請け負ったのですが、この時ジープの工場を視察したホンダ関係者にある特殊用途向けのチェロキーが目に留まります。アメリカでは国内市場に特化してしまったため、戦後ごく一部の例外を除いて右ハンドル車が作られることがなかったのですが、チェロキーには日本でいう郵政仕様グレードがあり、「郵政仕様」のチェロキーは郵便物の集配の利便性のために路肩から乗り降りしやすい右ハンドル仕様となっていたのです。その右ハンドルの郵政仕様を日本向けの一般販売仕様に転用することで、戦前に撤退したフォード・GM以来の右ハンドル仕様の日本市場向けアメリカ車となりました。そして日本人には四輪駆動システムの代名詞同然の「ジープ」の知名度の高さと当時のクロカン四駆ブームと相まって右ハンドルのチェロキーは日本でも大ヒットします。

以降、ジープは全モデル日本市場向けに右ハンドル仕様をラインナップするようになり、日本での販売に伸び悩む他のアメリカ車ブランド横目に人気の輸入車ブランドとなります。

現在のジープはどう進化したのか

さすがに安全基準が厳しくなった現在ではクラシックカーのような鋼板むき出しのバンパーや独立したプレス鋼板のフェンダーとはいかなくなりましたが、丸ライト(実は昔ながらのシールドビームと同じ規格サイズのガラス製のレンズカット入りセミシールドビームでした)に縦スリットのグリル等ラングラーには、誰が見てもジープとわかるディテールが生かされています。

現在はドア付きですが、公道でなければドアとフロントスクリーンを外して昔のようにフルオープンでクローリングにアタックということもできるそうです。

補器類がむき出しで、油脂類のキャップにこれ見よがしのタグが付いているのは、「ジープはいざとなればドライバーが自分で直して帰ってこれなければならないため」今も昔も過酷な環境で使われる事も想定しているのです。もちろんシャシーも頑強なラダーフレーム、アメリカ人にとってはタフな相棒のような存在なのかもしれません。このジープも10月25日に新型が出るとのことですが、あの縦格子グリルに愛嬌のある丸ライトと独立したフェンダーは健在のようです。これからもラングラーはジープの伝統を後世に伝え続けていくのでしょう。

撮影協力:クライスラー・ジープ 名古屋西
http://www.chukyo-chrysler.co.jp/shop/nagoyanishi/
住所:〒452-0962 愛知県清須市 春日鳥出1−1
TEL:052-325-5515
FAX:052-409-1115
定休日:第2火曜日、毎週水曜日

[ライター/鈴木修一郎]