伊達軍曹のここだけSUV談義 第4弾。ランボルギーニ ウルスは本当に「うらやましいSUV」なのか?

過日。カリスマフリーライター兼カリスマ電話工事技師として獅子奮迅の活躍を見せている自分は、とある案件の取材のため、某県某市の某自動車ファクトリーを訪ねた。そこに現れたのが担当編集者のQ氏で、その日のQ氏はランボルギーニ製のウルトラ高級SUV「ウルス」にて、その現場へやってきた。

ちなみにウルスの車両本体価格は2779万円。オプション装備等を含めた総額は果たしていくらぐらいになるのか、わたしはまったく知らない。ちなみにわたしはウルスを運転したこともない。

当然ながらそのウルスは、いち会社員に過ぎないQ氏の私物ではない。Q氏が別案件の撮影のためインポーターから借た「広報車」である。

正直、ウルスを運転してきたQ氏のことはまったくうらやましくなかったのだが(その理由は後述する)、いちおうの社交辞令としてわたしはQ氏に言った。

「やあQさん、今日はウルスですか? カッコいいですね、うらやましいですよ!」

するとQ氏は、ほとんど真っ暗な表情でわたしに言った。

「……そんなこと言わないでくださいよ。僕ぁもうコレに乗ってるのが嫌で嫌で、一刻も早く返却したいと思ってるんですから……」

なるほどそうか、さすがはQ氏。物事をわかってらっしゃる。

「自分の器」を極端に超える車は苦痛の種でしかない

「新車に近い状態のランボルギーニ ウルスを運転する機会を得た」と聞くと、多くの車好き、多くのSUV好きは「うらやましい!」とか「役得ってやつか!」などと思うのかもしれない。

もちろん、なかにはウルスの運転を心の底から楽しめる自動車メディア関係者もいるのだろう。

またあるいは、富裕層として「いっちょ買ったろか?」と考え、考えるだけでなく実際にランボルギーニ ウルスを購入する猛者もいらっしゃる。

そういった方々は、それでいい。

だが問題は、そうではない、筆者を含む「多くの人々」の場合だ。

ランボルギーニ ウルスあるいはその手の超高額・超高級SUVと対峙してもいっさいビビらない、物怖じしない、神経が極太な人も世の中にはいらっしゃる。

だが多くの者は、ああいったクルマの鍵を渡されてしまうと、いろいろと思ってしまうものだ。

「事故ったらどうしよう……。保険入ってるとはいえ、大変なことになるんだろうなぁ」

「それなりに車高が高いSUVだから大丈夫だとは思うけど、タイヤ止めとかに下をこすったりしないだろうか? いちいち不安だ……」

「ファミレスで昼メシを食ってる間に隣の車からドアパンチを食らったらシャレにならないから、今日は昼メシ抜きにするか? それともコンビニでおにぎりでも買うか……?」

「いやいや! 車内でおにぎり食べて『おにぎりくさいウルス』になっちゃったら大変なんで、やっぱ今日の昼メシは抜きってことで!」

みたいに、いちいち考えてしまうのである。

要するに「自分の器」がその車に合っていない――ということだ。
一概には言えない問題ではあるものの、わたくしが見た限りでは「ウルスないしはウルス的なるモノ」にまったく物怖じせず、ごくごく普通な精神状態で接することができる現代日本人の割合は、多めに見積もって全人口の5%程度。シビアに見積もるならば1%か2%ぐらいだろうか。

つまりほとんどの現代日本人にとって、ランボルギーニ ウルスないしはウルス的なクルマは「苦痛の種」でしかないのだ。鍵を渡されても困るのである。

もちろん「30分程度のプチ試乗」なら大歓迎だが

いやもちろん、社会勉強というか「何事も経験」という意味で、ウルスないしはウルス的なモノのハンドルを握ってみるのは良いことだと思う。かく言うわたくしも、なぜか縁あって「SUVラボ所長」なる肩書が与えられているからには「ボク、ウルスって運転したことないんです」などと眠いことは言わずに、せめて一度ぐらいは運転してみるべきなのだろう。

だがそれもせいぜい「1時間」でいい。いや実際には30分ぐらいだろうか? それ以上の時間ランボルギーニ ウルスのキーを預かるのは、わたくしのような小市民にとっては苦痛でしかない。

具体的には、例えば東京で言うと東名高速東京インター近くの広~い路上でウルスを預り、ほんのちょこっと一般道を走ってからすぐに高速道路に上がる。そして2番目の出口である横浜町田インターでとっとと降り、そこで待ち構えている誰かにウルスとそのキーを託し、自分は電車でさっさと自宅に帰る。

それで十分だ。いや、それこそがわたしにとっての幸せだ。

横浜町田インターからまた再び都内に戻り、狭い道をいろいろ走って自宅に帰り、どこでどうイタズラされるかわかったものではない駐車場にひと晩かふた晩ウルスを停めるなど、わたしにとってはほとんど拷問だ。御免こうむりたい。

あくまでも「自分の相撲」を取ろうじゃないか

長々と何を言っているのかといえば、結局のところ、こうだ。

「隣の芝生はいつだって青く見えるものだが、それは錯覚である場合が多いし、青い芝生が必ずしも幸福につながっているとは限らない。結局人は『自分のSUVで、自分の相撲を取る』しかないのだ。そこに集中した先に初めて、『自分だけの幸せ』が現れるのだ」

もちろん、現状に甘んずることことなく1つ上、2つ上ぐらいのクラス感のSUVを追い求めるのも悪くない。まあ正直申し上げて「それってちょっと平成っぽくない?」とも思うわけだが、まあいい。心とお金にレバレッジをかけて「上を目指す」というのは、いつだって男のあるべき姿ではある。

だが「超絶上」を無闇に志向するのはよろしくない。それは幸福の追求においては無意味であるばかりでなく、むしろ逆効果だったりもするからだ。

ということで、ランボルギーニ ウルスとかに関してはネットや雑誌などで写真や記事を見て「へー、そうなんだ」とつぶやくぐらいにとどめ、後の時間は自分のスバルXVやらマツダCX-5やらをきっちり洗車して、どこかに楽しくのんびりお出かけすることを、わたくしとしては強く推奨したいのである。

[ライター/伊達軍曹]